長承寺は宮城県最北端、県境国道三四二号を北上川沿に大泉地区があり、奥州二十三番札所がある。当寺の裏山は大泉城址で眼下に北上川が流れている。祈祷寺らしく鳥居をくぐり山門に入ると広い前庭の参道の左右に樹齢三五〇年の大銀杏がそびえ、さらに観音堂の参道には樹齢六百年という杉の大木が巨大な幹を複雑に絡ませあたかも観音堂を護衛するかのように立ちはだかっている。
奥州二十三番札所の草創について
弘仁元年(八一〇)比叡山延暦寺三世慈覺圓仁大師が奥州遊歴衆生済度の折当地に参籠草庵を結び自ら四尺六寸(一三五センチ)の千手観世音菩薩の座像を彫刻し御堂に安置、それが二十三番札所の御本尊であり、さらに左右には不動明王、毘沙門天、二十五の菩薩、法堂には阿弥陀如来、山門には仁王大像、外堂には白山薬師二体、大師直作の子安堂には地蔵菩薩得一菩薩を安置、庫裡には運慶作の韋駄天を安置し、嘉祥二年(八四九)迄に悉成就慈覺大師が草庵を結んで四十年後であった。大師の後継慈圓律師の代に改め天台宗補陀山観音寺と号し、その後二八〇年間の詳細は不明で、長承元年(一一三二)天台の覺源法師がこの寺の再興に努め、補陀山長承院と改め、その後時の人皇七十五代崇徳天皇の勅願所となり院号を改め長承寺となる。
奥州二十三番札所に 藤原千住の御詠歌があり
さしすみて泉がそこの水かがみ
清けにすすくのちの世の罪
然るに文治五年(一一八五)藤原氏滅亡と共に衰微し建武年中(一三三二〜一三三七)になり時の領主葛西氏の一族平武治公の帰依するところとなり、三間四面の観音堂を再建し寺領百町歩の寄進をうけたことにより寺運隆昌に向う。しかし天正十八年(一五九〇)葛西氏が小田原の陣に参戦しなかった理由で豊臣秀吉に領地を没収され、その余波で長承寺も次第に荒廃し文録元年(一五九二)永明寺(葛西氏の菩提寺)五世日峯天輪大和尚が永明寺開山蘆月禪林大和尚を長承寺に移して再興し、従来の天台宗を曹洞宗に改め山号も永明寺の山号を移して、大白山長承寺(本尊は釈迦牟尼仏)とする。
その後曹洞宗大慈寺六世華嶽道春大和尚を長承寺開山として迎え大慈寺の末寺となり、以来寺運隆昌し法灯連綿として絶ゆることなく現住職三十六世を数える。(弘仁元年より安永三年迄九六五年である。)「安永三年三月風土記御用付書上控なり。」
観音堂は三間(五・四メートル)四面に四尺五寸(一三五センチ)の濡れ縁をめぐらした御堂で、建立は室町初期(一三五〇)と伝えられている。毎年四月十七日の例祭には関東や福島方面からも参詣者が訪れ祈祷会などが行われている。
古碑 永明開山墓碑あり、自然石で四一五年前のものである。長承寺境内に「巳己」の碑があり永仁二年(一二九四)町内供養碑中最も古いものである。
経石=一石一経は観音堂の床下に天明、天保の飢饉で亡くなった方への供養の為に小石に写経したもの。小石の数は一万一千以上あり、非常に珍しい経石である。
長承寺歴住
當山開基 | 弘仁五年 慈覺圓仁大師(比叡山延暦寺三世) |
當山中興 | 長承元年 覺元法師(當国大守藤原秀衡公の祈願所) |
當山再中興 | 建武元年 了元法師 |
永明開山當寺前住 | 蘆月襌林大和尚(正中元年十月六日) |
曹洞開山 | 永録二年 日峯天輪大和尚(永明五世) 天正十三年九月二十日示寂 |
長承寺開山 | 萃嶽道春大和尚 元和元年四月九日示寂 |
當寺二世 | 兀山大舜大和尚 元和三年九月十六日示寂 |
當寺三世 | 喜山牛察大和尚 寛文七年三月二十三日示寂 |
當寺四世 | 一華本悦大和尚 八月十四日 |
當寺五世 | 心領誕應大和尚 宝永三年四月二十七日示寂 |
當寺六世 | 一宙相園大和尚 寛保三年正月四日(二ノ迫鴬沢村金剛寺へ移転) |
當寺七世 | 大恵愚通大和尚 寛延四年十一月二十七日(登米、龍源寺へ移転) |
當寺八世 | 一海祖晋大和尚 享保十八年五月二十七日示寂 |
當寺九世 | |
當寺十世 | 歌山雪村大和尚 行脚出国 |
當寺十一世 | 鳳岩大麟大和尚 明和二年四月三日 (三ノ迫大林村大林寺へ移転) |
當寺十二世 | 物外官山大和尚 明和七年八月八日示寂 |
當寺十三世 | 聯山慧燈大和尚 享和四年二月三日示寂(牡鹿郡湊ノ多福院へ移転) |
當寺十四世 | 得之養髄大和尚 (嵯峨立村普慶院へ移転) |
當寺十五世 | 鐵翁光牛大和尚 天明元年九月二十七日(桃生郡大田村吉祥寺にて示寂) |
當寺十六世 | 榮運源昌大和尚 文化七年三月三日(本吉郡岩月村満福寺へ移転) |
當寺十七世 | 佛山祖眼大和尚 再行脚 |
當寺十八世 | 白道眠山大和尚 (桃生郡横川祥雲寺へ移転) |
當寺十九世 | 卍壽台榮大和尚 文化四年十月朔日示寂(牡鹿郡桃ノ浦洞仙寺へ移転) |
當寺二十世 | |
當寺二十一世 | 大賢哲宗大和尚(登米郡狼河原村大慈寺へ移転) |
當寺二十二世 | 芳山林秀大和尚 |
當寺二十三世 | 高岳泰麟大和尚 |
當寺二十四世 | 徹山活宗大和尚 慶鷹二年五月十五日示寂 |
當寺二十五世 | 亀嶽仙山大和尚 (栗原郡有賀村官庭寺へ移転) |
當寺二十六世 | 天質白峯大和尚 明治二十一年十二月二十四日示寂 |
當寺二十七世 | 源調喚龍大和尚 大正十二年八月八日示寂 |
當寺二十八世 | 良恵 和尚 |
當寺二十九世 | 今野良範 和尚 |
當寺三十世 | 渡辺大心和尚 |
當寺三十一世 | 天山孝童大和尚 |
當寺三十二世 | 太山壽白大和尚 昭和九年九月 |
當寺三十三世 | 壽峯契天大和尚 |
當寺三十四世 | 米内英春大和尚 昭和十一年五月七日出兵 |
當寺三十五世 | 昭和四十六年三月二十四日示寂八十六才 |
當寺三十六世 | 昭和四十六年七月二十七日当寺に住職 田村耕文(現住) |
(2010年04月10日 投稿)