普慶院の沿革
当寺は宮城県、最北端に位置し岩手県に接続する山間地であり、広大な山林を有し、自然環境に恵まれ、言うなれば、山紫水明の処である。
当寺の発祥は時代を遡ること、平泉全盛時代に一人の天台宗の僧、大覚坊が、現在地より前方の山に天留居山大清水と称し、如意輪観世音菩薩を安置し庵を結んだのが始まりと言われている。その後嘉暦元年(一三二六)諸嶽山如意輪堂と号し現在地に移る。永録六年(一五六三年)葛西家十七代晴信の子(嵯峨立城主)州崎城主岩渕信濃守信継公の菩提寺として、京都・丹波国玉雲寺三世啓南乾迪大和尚を勧請し曹洞宗松嶽山普慶院と改宗改名し現在に至る。
本堂間口十間奥行六間半、庫裡間口四間半奥行十間、境内八百五十坪、墓地二反二セ、山門七坪、昭和四十二年設立した元保育園舎二十一坪あり。
歴代住職は次のとおり。
開山 | 體賢麋異大和尚 |
二世 | 聞渓三政大和尚 |
三世 | 観室芳宥大和尚 |
四世 | 起雲粟龍大和尚 |
五世 | 通山宗達大和尚 |
六世 | 州岩正三大和尚 |
七世 | 我国理観大和尚 |
八世 | 一入玄超大和尚 |
九世 | 一海視晋大和尚 |
十世 | 機伝祖要大和尚 |
十一世 | 空巌宅心大和尚 |
十二世 | 耕意能田大和尚 |
十三世 | 付峯宗印大和尚 |
十四世 | 隗始燕壹大和尚 |
十五世 | 伝教宗外大和尚 |
十六世 | 隠山大忍大和尚 |
十七世 | 得旨養髄大和尚 |
十八世 | 眞龍光明大和尚 |
十九世 | 戒円光珠大和尚 |
二十世 | 泰了義天大和尚 |
二十一世 | 海龍一運大和尚 |
二十二世 | 大光仏山大和尚 |
二十三世 | 大心文海大和尚 |
二十四世 | 仏心得宗大和尚 |
二十五世 | 雲山禅獅大和尚 |
二十六世 | 歓慶徳真大和尚 |
二十七世 | 仏国礼明大和尚 |
二十八世 | 中興慈海良一大和尚 |
二十九世 | 臥雲一峯大和尚 |
三十世 | 禅岳俊美(現住) |
寺宝としての仏像
本尊如意輪観音菩薩、普賢菩薩、文珠菩薩、開山和尚像、雲板鐘(安永年間製作)外に軸、十三仏、十六羅漢図、最近の物として佛天蓋、人天蓋、水引柱巻等、過去帳は宝暦元年より保存されている。
年間行事として、正月元旦.三日まで三朝祈祷。元日午前〇時三十分より、参拝者の中で年賀に来山するので午前三時頃まで、雑談し接待、三日午後二時より護持会役員の新年互礼会、終了後三朝祈祷のお礼、曹洞宗宝暦を各檀信徒に四日に配布する。これはお寺からの御年始としている。
三月九日恒期の大般若会、住職の法話、護持会の総会・決算予算事業等に就いて説明。
八月十一日は八月までに法事が出来なかった家の年回塔婆供養(年回忌については二月に護持会役員を経由して連絡する)。八月十三日初盆家の巡行、十四日十五日お棚経巡行、並に年回忌法事、二十日お盆まで。九月秋彼岸中、日清日露大東亜戦死病没者追悼法要後、戦争体験者による体験発表後会食と終了。この間葬式や法事の席で五分.十五分位の法話をする。十二月三十一日除夜の鐘と一年は終り新年を迎える。
(2010年04月10日 投稿)