登米郡東和町米谷字寺沢、曹洞宗松谷山東昌寺は、天正六年(一五七八年)四月十五日、岩手県西磐井郡永井村、陽徳山瑞昌寺二世笑室誾浦和尚が村民の懇請により現在の土地に建立した。
それより代を経る事二七七年(時、安政二年九月)。十六世恭嶽芳順和尚に至り火災に罹り、本堂、庫裡共焼失した。後に六年を経て、文久二年一八六二)、十七世大圓活動和尚により漸く庫裡を再建、以来小出徳右衛門氏等檀徒一同の努力により明治二八年(一八九五年)本堂の再建を見た。
その後、昭和五十四年から五十九年にかけて本堂改修、庫裡新築、旧庫裡の会館化等々施し、最近では、平成九年に、二十世法山丈貞和尚の七回忌と合せ山門落慶式を挙行した。
歴代住職
開山 | 笑室誾浦大和尚 陽徳山瑞昌寺二世 | 寛永十年八月二十四日遷化 |
二世 | 通山圓達大和尚 | 寛永十七年七月十六日遷化 |
三世 | 花翁全守大和尚 | 寛文三年八月十三日遷化 |
四世 | 榮岩全雪大和尚 | 寛文五年三月八日遷化 |
五世 | 清庵永頓大和尚 | 寳暦二年六月十五日遷化 |
六世 | 湖岩洞音大和尚 | 寳暦十年一月八日遷化 |
七世 | 雷恭音聲大和尚 | 安永元年八月二十四日遷化 |
八世 | 雲龍雷峰大和尚 | 不 詳 |
九世 | 佛山法輪大和尚 | 不 詳 |
十世 | 霊林天超大和尚 | 不 詳 |
十一世 | 梅叢寛麟大和尚 | 不 詳 |
十二世 | 得霊連城大和尚 | 不 詳 |
十三世 | 皆由天苗大和尚 | 岩手県東磐井郡長坂村城高山安養寺に轉住 |
十四世 | 千山全孝大和尚 | 宮城県牡鹿郡稲井村字流留、長流寺(廢寺)に轉住 |
十五世 | 鶴林霊樹大和尚 | 不 詳 |
十六世 | 恭嶽芳順大和尚 | 不 詳 |
十七世 | 大圓活道大和尚 | 大正2年二月二十五日遷化 |
十八世 | 関鱗諦從大和尚 | 昭和2年十二月十日遷化 |
十九世 | 太虚洪禧大和尚 | 岩手県東磐井郡川崎村 東安寺二十九世として転住平成八年一月二十四日遷化 |
二十世 | ![]() |
平成三年十一月二十六日遷化 |
二十一世 | 法輪貞俊 | (平成四年より現在に到る) |
旧本尊聖観音木佛座像高さ一尺五寸は、火災にあい(一部現存)、現在は釈迦牟尼佛坐像である。高さ、光背部共三尺三寸
文化財
東和町文化財 天然記念物「オンコ」 昭和四十七年十月十三日指定
由来、一五七八年、東昌寺入仏(開山)の時の記念樹として植えられたと伝えられる。
学名「イチイ」という。常縁針葉樹
樹高六メートル、根廻り三メートル。
和名は「一位」で、むかし、この木で笏(しゃく)を作った事によるという。旧一万円、五千円札の聖徳太子が持っている笏である。
又、薬草的には、生薬名「一位葉」と言って、乾燥した葉を煎じて飲むと利尿、糖尿病に良いといわれている。
実は甘く粘り気があるので果実酒にも良い。たねは有毒であるので注意する。イチイは直立性であるのに対して、当寺のは、その枝が横に出るといった、イチイの変種のギャラボクに近い形態である。
(2010年04月10日 投稿)