所在地・登米町寺池道場一二番地
本寺 尾張勢雲寺(現 愛知県性海寺)
開山 天以乾済大和尚 亨禄三年(一五三〇)
龍源寺の創建には諸説あるが、中館系譜が伝える葛西家八代詮清・九代満信のころ、寺池(登米町)に開草されたと考えられる。元中五年(一三八八)に没した八代詮清と、応永二十七年(一四二〇)に没した九代満信は、その法名に龍源寺殿という寺殿号を有しているのである。その後、十三代満重(政信)が文明十五年(一四八三)六月再興し、平沢山龍源寺と称し曹洞宗とした。この再興には、尾張勢雲寺開山周鼎中易が携わったと伝えられる。周鼎中易の後事を託された法孫の天以乾済は、尾張勢雲寺に住すること三年、住職を辞して奥州弘法に旅立ち、上品山(河北町)のほとりに寓止していた。そのころ一時、中野(河北町)に城居していたらしい葛西十四代晴重は、乾済に深く帰依し、住僧もなく荒れていた天台宗の寺を修復して、乾済を入院させ、直指単伝の道場とした。時に亨禄三年(一五三〇)である。乾済は山号を改めて桁淵山龍源寺と称した。これより当寺は葛西家の菩提所となり今日に至る。その後、天文五年(一五三六)十五代晴胤が寺池(登米町)に移るにしたがって龍源寺も移転したが、その所在地は現北上川河川敷と言われている。天正十八年(一五九〇)に葛西家が滅亡し、その時点で、寺は廃寺の危機にあったと考えられる。現在地に龍源寺が納まったのは、登米町周辺の河川改修の後、慶長十一年(一六〇六)である。
〔歴代住職譜〕
勧請開山 周鼎中易 尾張乾坤院四世、尾張勢雲寺、天沢院、三河龍源寺各開山、寺池龍源寺再興に携わる。花巻大興寺七世中興、永正十六年七月二十日示寂。
開山 | 天以乾済 尾張勢雲寺三世、 石巻龍泉院開山 | 天文二十四年八月二十二日示寂 |
二世 | 法庵玄器 桃生香積寺開山 | 天正十二年二月二十六日示寂 |
三世 | 中室存的 志津川大雄寺開山 | 文禄三年十月四日示寂 |
四世 | 観空周應 勧請四世 天庵秀杏 龍泉院二世、 桃生浄音寺、 河南耕徳院各開山 |
慶長二年九月十二日示寂 天正十年五月十八日示寂 |
五世 | 明巖誾哲 中田光明寺開山 | 慶長十五年八月二十四日示寂 |
六世 | 天翁俊佐 | 天和三年三月二十五日示寂 |
七世 | 徳岩文道 明耕院三世 | 正保元年八月一日示寂 |
八世 | 通岩永達 | 慶安二年四月二十一日示寂 |
九世 | 利山天洲 | 延宝三年三月二十七日示寂 |
十世中興 | 超外存朔 現本堂及び千躰仏堂、 古館鎮守宮建立 | 元禄四年五月十九日示寂 |
十一世 | 千快如珊 庫院建立 | 宝永四年六月十五日示寂 |
十二世 | 中興 傳翁祖燈 衆寮建立 | 元文三年九月四日示寂 |
十三世 | 存天法鑑 | 寛保二年二月二十三日示寂 |
十四世 | 一宙祖圓 長承寺六世から鶯沢金剛寺五世、当寺へ晋住 | 寛保三年正月四日示寂 |
十五世 | 徳隣中天 | 宝暦七年六月十二日示寂 |
十六世 | 中興 雄岩徳峰 現庫裡に大改修 | 天明八年九月十二日示寂 |
十七世 | 鶴州玄齢 一ノ関願成寺へ他山 | 文化六年十二月十四日示寂 |
十八世 | 泰巖天山 | 文政四年五月十日示寂 |
十九世 | 活道百歩 玉秀寺十三世から晋住 | 文政七年八月十日示寂 |
二十世 | 要山梅玄 光明寺十二世から晋住 | 文政十二年五月十九日示寂 |
二十一世 | 良襌楚雄 長源寺十六世から晋住 | 天保三年五月十八日示寂 |
二十二世 | 潭室春鱗 玉秀寺十四世から晋住 | 嘉永三年十月十四日示寂 |
二十三世 | 佛閑達宗 山門向拝造立、松音寺徒から晋住、後、養雲寺三十一世へ、さらに松音寺三十二世へ転住 | 明治十二年五月十六日示寂 |
二十四世 | 鐡應良関 音声寺から晋住、 後、養雲寺三十二世へ転住 | 明治三十一年四月八日示 |
二十五世 | 曹宗良源 明耕院から大雄寺へ、 後当山へ晋住、大雄寺へ退院 | 明治二十二年九月二十九日示寂 |
二十六世 | 俊隆白猊(姓大山)音声寺から晋住、養雲寺三十世の徒 | 明治二十八年六月十七日示寂 |
二十七世 | 法幢開闢中興察堂俊亮(姓大山)大山白猊の徒、香積寺二十八世から晋住、中学林学監、宗会議員、永平寺維那等 | 大正十五年九月十日示寂 |
二十八世 | 博亮文英(姓只野)大山俊亮の徒、香積寺三十一世から晋住 | 昭和十四年二月七日示寂 |
二十九世 | 中興 俊英文雄(姓佐竹)大山俊亮の徒、長源寺二十五世の家督、同二十六世の嗣法、河北町海蔵庵十六世中興、浄音寺三十世中興、長源寺二十七世から晋住 | 昭和四十四年十二月二十四日示寂 |
三十世 | 俊渓雄道(姓佐竹)昭和四十五年二月六日晋住、昭和五十三年六月二十七日より平成元年五月まで玉秀寺兼住、平成十二年三月三十一日龍源寺住職を引退、東堂となる | |
現住三十一世 | 真嶽浩俊(姓佐竹) | 平成十二年四月一日晋山 |
龍源寺は、葛西家の菩提寺であるが、葛西家の墓所もなく、境内には、昭和初期に旧葛西家臣の子孫の方々による供養塔が建立されているのみである。葛西家治世の往時を偲ぶものは、現所在地には、残念ながら、無い。
(2010年04月10日 投稿)